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千葉地方裁判所 平成4年(行ウ)31号 判決

原告

天坂喜一

被告

成田税務署長

田尻憲

右指定代理人

久保田浩史

外六名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主位的請求

被告が原告に対し、平成三年四月一日付でなした平成元年分所得税更正処分、平成三年九月三〇日付でなした平成二年分所得税更正処分及び平成四年六月三〇日付でなした平成三年分所得税更正処分は、いずれも無効であることを確認する。

2  予備的請求

被告が原告に対し、平成三年四月一日付でなした平成元年分所得税の過少申告加算税賦課処分、平成三年九月三〇日付でなした平成二年分所得税の過少申告加算税賦課処分及び平成四年六月三〇日付でなした平成三年分所得税の過少申告加算税賦課処分をいずれも取り消す。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同趣旨

第二  当事者の主張

一  原告の請求原因

1  処分の存在

原告は、司法書士業を営む者であるが、被告に対し、平成元年分の所得税について、別表一の確定申告欄及び修正申告欄記載のとおり申告をし、平成二年分及び平成三年分の所得税について、別表二及び三の確定申告欄記載のとおり確定申告をしたところ、被告は、別表一ないし三の更正欄記載のとおり各更正処分(以下「本件各更正処分」という。)及び各過少申告加算税賦課処分(以下「本件各過少申告加算税賦課処分」という。)をした。

原告は、被告に対し、平成元年分更正処分について別表一の異議申立欄記載のとおり異議申立てをしたが、同異議申立決定欄記載のとおり棄却された。そこで、原告は、平成二年分及び平成三年分については異議申立てをしないまま、国税不服審判所長に対し、別表一ないし三の審査請求欄記載のとおり平成元年分ないし平成三年分について審査請求をした。

2  本件各更正処分の無効

しかし、本件各更正処分は、以下の理由により無効である。

(一) みなし法人課税取りやめ届の無効・撤回

原告は、昭和六二年分の所得税から租税特別措置法二五条の二(平成四年法律第一四号による改正前のもの。以下同法、同法施行令及び同法施行規則について同じ。)のみなし法人課税の選択をしていたが、昭和六三年三月一一日付で「平成元年分の所得税からみなし法人課税の選択を取りやめる旨の届出書」(以下「取りやめ届出書」という。)を被告に提出した。

そして、被告がなした本件各更正処分は、右取りやめ届出書を前提にしてなされたものであり、みなし法人損失額の繰越控除の規定を適用していない。

しかし、以下において述べるように、原告がなしたみなし法人課税の選択を取りやめる旨の意思表示(以下「取りやめの意思表示」、あるいは「取りやめ届」ともいう。)は、原告の要素の錯誤に基づくものであるから、無効であり、仮にそうでないとしても撤回されたものであるから、これを前提になされた本件各更正処分は、当然無効である。

(1) 取りやめ届錯誤による無効

ア 公法関係を支配する法理と私法関係を支配する法理との分離独立を強調し、行政法上における私人の行為を含めた公法上の行為はすべてもっぱら公法に固有の原理によって処理されるべきであるという見解は誤りである。すなわち、現在、一般に公法関係と解されている租税法領域について右のような公法に固有の原理が支配していると解することは極端に過ぎ、とりわけ行政法における私人の行為は、行政行為よりも私法行為に近似し、私人としての行為との間に本質的な区別はないというべきである。したがって、行政法における私人の行為に要素の錯誤がある場合は、実体法上特別の規定のない限り民法の原則どおり無効となるというべきである(民法九五条)。

イ 青色申告制度をとる限り純損失の繰越控除が認められるが、原告は、右とみなし法人損失額の繰越控除は同じものであると信じ、また、事業主に対する過大報酬についての複雑な計算規定が施行されたことが動機となって、みなし法人課税選択の実益がないと判断し、その旨を記載した取りやめ届出を被告に対し提出した。右取りやめ届出書を提出した当時、原告には累積した多額の繰越損失があったのであるから、右繰越損失を控除できないのであれば取りやめ届出書を提出するはずがなく、通常の社会的見解をもってすればその提出が錯誤に基づくものであることは被告において容易に理解できたはずである。

また、国税庁作成のパンフレットや国税庁広報課長監修の「やさしい所得税」には、青色申告に認められる特典としての純損失の繰越控除・繰戻し還付制度とみなし法人課税の選択とが何らの注意書きなしに並列的に記載されており、また、平成元年分の所得税の確定申告時において原告が被告の係官に対し、取りやめ届出書を提出してもみなし法人損失額を繰越控除できるかと質問したところ、右係官が「そのとおり。」と回答したのであって、原告は、国の欺罔行為により錯誤に陥らされたものということができる。

したがって、取りやめ意思表示は、原告の錯誤に基づくものであるから無効である。よって、取りやめの意思表示の有効を前提にして行った本件各更正処分もまた無効である。

(2) 取りやめ届の撤回

ア 原告は、平成二年一二月二七日頃、被告税務署において、被告係官に対し口頭で取りやめ届の撤回を申し出た。

イ さらに、原告は、平成三年一月一〇日、取りやめ届は無効である旨を記載した無効通知書(以下「無効通知書」という。)で取りやめ届の撤回を通知し、右通知は、翌一一日に被告に到達した。

したがって、右撤回の効力が生じた後においてこれを無視し、取りやめ届の有効を前提にして行った本件各更正処分は無効である。

(二) 憲法違反

(1) 本件各更正処分は、原告が税理士制度を利用しないためになされたものであり、違憲無効である。

(2) 本件各更正処分は、原告の悲惨な生活実態を何ら考慮することなくなされたものであり、生存権の保障、基本的人権の享有、個人の尊重を旨とする日本国憲法(憲法一一条、一三条、二五条)に違反し、無効である。

3  本件各過少申告加算税賦課処分の違法

仮に、本件各更正処分が無効でないとしても、本件各過少申告加算税賦課処分には次のような違法があるから、取り消されるべきである。

すなわち、加算税制度は、申告納税方式による国税において、適正な申告をしない者に対し一定の制裁を課すことにより、申告納税制度の維持を図ることを目的としたものであるところ、原告がみなし法人課税の適用があるとして行った本件各確定申告は、取りやめの意思表示に錯誤があったことに起因するものであって、申告漏れないし費用の過大計上によるものではないのであり、また、国税通則法六五条四項の正当な理由がある場合に該当する。

したがって、本件各過少申告加算税賦課処分は、加算税制度の立法趣旨に照らして明らかにその判断を誤った違法がある。

4  よって、原告は、主位的に本件各更正処分が無効であることの確認を求め、予備的に本件各過少申告加算税賦課処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する被告の認否及び主張

1  処分の存在について

請求原因1の事実は認める。

2  本件各更正処分について

(一) 取りやめ届の無効・撤回の主張について

請求原因2(一)の事実のうち、原告がみなし法人課税の選択をしていた事実、その後取りやめ届出書を提出した事実及び本件各更正処分が右取りやめ届出書を前提とし、みなし法人損失額の繰越控除の規定を適用していない事実は認め、その余の主張は争う。

(1) 取りやめ届の錯誤無効の主張について

みなし法人課税選択の取りやめの意思表示は、課税関係という公法関係における私人の行為であるが、このような私人の公法行為に、原告主張のように私法規定が適用されるか、また、その範囲いかんについては争いのあるところである。仮に、一般論として私人の公法行為に私法規定の適用があるとしたとしても、以下のように、原告は錯誤無効の主張をすることができないというべきである。

ア みなし法人課税の選択あるいはその取りやめに際し納税者がその利害得失をどのように判断するかはケースバイケースである。本件において原告が取りやめの意思表示をなすにあたり最も重要視したのは、経理事務処理の負担が増加するという点であり、損失の繰越しの点については、当時昭和六三年分及び平成元年分に繰り越すべき損失が発生するかどうかも未確定であったのであって、原告はこれを重要視していなかった。したがって、このような利害得失判断の微妙さからすると、原告に錯誤があったといえるか、仮にあったといえてもそれが要素の錯誤といえるか疑問である。

また、原告は、平成元年分の所得税の確定申告に際し、被告係官の誤った指示により錯誤に陥ったと主張するが、それは、原告が取りやめ届出書を提出した後のことであるから、錯誤の成否に何ら影響を及ぼすものではない。

イ 原告は、取りやめの意思表示自体について錯誤があったのではなく、取りやめの意思表示によって生ずる効果について誤解していたにすぎず、これはいわゆる動機の錯誤である。したがって、動機が表示されて意思表示の内容とならない限りは、錯誤と評価しえないものであるところ、原告が取りやめの意思表示をなすにあたってその理由としてあげたのは、「実益がない。」ということのみであって、動機の表示がないことは明らかである。

ウ また、仮に、原告に要素の錯誤があったといえるとしても、その錯誤は原告の重大な過失によるものであるから、原告はその無効を主張することができない(民法九五条但書)。

すなわち、みなし法人損失額の繰越控除については、租税特別措置法施行令に規定があるのであるから、容易にその内容を知り得るところ、国税庁作成のパンフレットや国税庁広報課長監修の「やさしい所得税」の記載を誤解するなどして制度を正しく理解しなかった原告の過失は重大であるといわざるを得ない。

(2) 取りやめ届の撤回の主張について

請求原因2(一)(2)の事実のうち、アの撤回の申出の事実は争う。イの無効通知書が被告に到達した事実は認める。

ア みなし法人課税選択の取りやめのための届出は、その選択をやめる年の前年一二月三一日までに所定の事項を記載した「みなし法人課税選択取りやめの届出書」を税務署長に提出することとされているところ、選択を取りやめた年以後三年以内の各年分については、みなし法人課税の再選択はできないこととされている(租税特別措置法二五条の二第一項)。この規定は、みなし法人課税制度の選択と取りやめとを恣意的に繰り返すことを認めると、税負担の調整を狙いとしてみなし法人課税制度を利用することを招き、一定の継続性を前提とするみなし法人課税制度の趣旨にそぐわないことから、従前はいったん取りやめ届出書を提出すると再びその選択はできないものとされていたところ、昭和六三年度の改正において、納税者の利益を考慮して取りやめ後の再選択を一定限度で認めることとしたものである。したがって、右規定の趣旨に照らすときは、いったん有効な取りやめ届出書が受理された場合に、みなし法人課税制度の適用を受ける地位を回復しようとするときは、もっぱらこの規定によるべく、取りやめ届の撤回等別異の手段によることはできないというべきである。

本件における原告もいったん有効に取りやめ届出書を提出して受理された以上、この効果を排除しようとするときは、もっぱら右の規定によるべきであり、取りやめ届の撤回を主張することは許されないというべきである。

イ 仮にアの主張が容れられないとしても、私人の公法行為の撤回は、その公法行為に基づく行政処分が行われる前までは原則として許されるが、その後は許されない。さらに、行政処分の前といえども、撤回することが信義則に反するような場合は許されない。

① ところで、取りやめ届出書を含め、税務官庁に提出する所得金額及び税額の計算方法に係る届出は、申告納税額の算定に直接影響を及ぼすものであり、納税申告の前提と解すべきものである。すなわち、申告納税方式をとる所得税にあっては、納税者は、税法が定める各種税額計算方法を選択し、その届出を経てその選択方法に基づき自らの計算により申告納税額を確定させるのである。そして右申告納税額は税務署長において更正する場合を除き、右金額で確定することになる。とすると、取りやめ届出書との関係では、納税申告手続における確定申告は、行政処分に準ずるものというべきである。したがって、確定申告がなされて以後は、取りやめ届の撤回は原則として許されない。

本件においては、取りやめ届の撤回は原告の平成元年分の確定申告の後になされ、原告の平成元年分の所得税については、取りやめ届出書の存在を前提として一応の確定をみており、被告はこれを前提に以後の手続を行った。したがって、原告の平成元年分の確定申告がなされた以上、取りやめ届の撤回は許されないというべきである。

② 仮に確定申告が行政処分に準ずるものといえないとしても、平成元年分については、次に述べるように取りやめ届及びこれを前提とする確定申告の存在に基づいてその後の申告納税手続が進行しているのであるから、取りやめ届の撤回によりこれを覆すことは信義則に反し許されないというべきである。

すなわち、原告は、自ら平成元年分以降について取りやめ届出書を提出し、さらにこれに基づきみなし法人課税の適用のない税額計算及び書式による平成元年分の確定申告書を提出して、右申告に基づく還付金を受領することにより、申告及び納税(還付)に係る手続を一応完結させた。他方、被告は、原告の昭和六二年ないし平成元年分に対する所得税調査を行い、各所得金額が過少であることを確認した。そして、平成元年分につき直ちに更正処分をなしうる状態にあったにもかかわらず、みなし法人損失額を繰越控除することができないことについて原告の理解を得るべく、更正処分をなすことを見合せていた。ところが、原告は、平成三年一月一一日、右一連の手続を一挙に覆すべく、取りやめ届を撤回する旨の意思表示をなしたものである。

(二) 本件各更正処分の憲法違反の主張について

請求原因2(二)の主張は争う。

所得税法をはじめとする各種税法は、納税者の担税力を考慮して定められており、これに沿ってなされた本件各更正処分は原告の生活実態に相応するものというべきであり、憲法一一条、一三条、二五条違反の問題は生じない。

また、税理士制度を利用するかどうかは納税者の自由な選択にまかせられており、納税者が税理士制度を利用せずに自ら納税手続を行い、その結果何らかの過誤を犯し不利益を被ったとしても、そのリスクは自らが負うべきものであり、なんら憲法違反の問題は生じない。

3  本件各過少申告加算税賦課処分について

請求原因3の主張は争う。

(本件各過少申告加算税賦課処分の適法性に関する被告の主張)

(一) 本件各過少申告加算税賦課処分の根拠

(1) 平成元年分

ア 総所得金額六七〇万七一八六円

右金額は、原告の平成三年二月四日付修正申告(以下「修正申告」という。)に係る事業所得の損失額三三二万七二八四円に、売上金額の申告洩れ一三万四四七〇円及び仕入金額の過大計上一〇〇〇万円の計一〇一三万四四七〇円を加算し、青色申告控除額一〇万円を控除した金額である。原告は、他に所得を有しないので、右事業所得の金額が総所得金額となる。

イ 所得控除の合計額

一四三万八八〇〇円

右合計額の内訳は次のとおりである。

① 社会保険料控除

二三万五八〇〇円

② 生命保険料控除五万〇〇〇〇円

③ 損害保険料控除 三〇〇〇円

④ 扶養控除 八〇万〇〇〇〇円

⑤ 基礎控除 三五万〇〇〇〇円

ウ 課税総所得金額

五二六万八〇〇〇円

右金額は、前記アの総所得金額からイの所得控除の合計額を控除した金額(但し、国税通則法一一八条一項により一〇〇〇円未満の端数切捨て後のもの。課税総所得金額について以下同じ。)である。

エ 課税総所得金額に対する所得税額 七五万三六〇〇円

右金額は、所得税法八九条一項により、前記ウの金額のうち三〇〇万円までについては一〇パーセントの税率を乗じて算出した三〇万円と、三〇〇万円を超える二二六万八〇〇〇円については二〇パーセントの税率を乗じて算出した四五万三六〇〇円との合計額である。

オ 源泉徴収税額三一万三四一六円

右金額は、原告が修正申告書に記載した源泉徴収税額である。

カ 納付すべき所得税の額

四四万〇一〇〇円

右金額は、前記エの課税総所得金額に対する所得税額からオの源泉徴収税額を控除した金額(但し、国税通則法一一九条一項により一〇〇円未満の端数切捨て後のもの。納付すべき税額について以下同じ。)で、原告が納付すべき平成元年分の所得税の額である。

キ 更正処分により納付すべき税額

七四万五九〇〇円

右金額は、前記カの納付すべき所得税の額に、修正申告によれば還付すべきとされる税額三〇万五八一六円を加算した金額(一〇〇円未満切捨て後のもの。)である。

ク 過少申告加算税額

八万六五〇〇円

右金額は、次の①及び②の合計額である。

① 国税通則法六五条一項の規定による過少申告加算税の額

七万四〇〇〇円

右金額は、前記キの更正処分により納付すべき税額七四万〇〇〇〇円(国税通則法一一八条三項により一万円未満の端数切捨て後のもの。過少申告加算税額の基礎となる額について以下同じ。)に一〇〇分の一〇の割合を乗じて算出した金額である。

② 国税通則法六五条二項の規定により加算される過少申告加算税の額

一万二五〇〇円

右金額は、前記キの更正処分により納付すべき税額に修正申告により納付すべき税額七六〇〇円を加算し、右合計額七五万三五〇〇円から五〇万円を控除した額二五万〇〇〇〇円(一万円未満の端数切捨て後のもの。)に一〇〇分の五の割合を乗じて算出した額である。

(2) 平成二年分

ア 総所得金額二二六万六一七五円

右金額は、原告の確定申告に係る事業所得の金額二三六万六一七五円から青色申告控除額一〇万円を控除した金額である。原告は、他に所得を有しないので、右事業所得の金額が総所得金額となる。

イ 所得控除の合計額

一四五万〇二〇〇円

右合計額の内訳は次のとおりである。

① 社会保険料控除

二四万七二〇〇円

② 生命保険料控除五万〇〇〇〇円

③ 損害保険料控除 三〇〇〇円

④ 扶養控除 八〇万〇〇〇〇円

⑤ 基礎控除 三五万〇〇〇〇円

ウ 課税総所得金額

八一万五〇〇〇円

右金額は、前記アの総所得金額からイの所得控除の合計額を控除した金額である。

エ 課税総所得金額に対する所得税額 八万一五〇〇円

右金額は、所得税法八九条一項により、前記ウの金額に一〇パーセントの税率を乗じて算出した金額である。

オ 源泉徴収税額

一一万四四一八万円

右金額は、原告が修正申告書に記載した源泉徴収税額である。

カ 還付すべき所得税の額

三万二九一八円

右金額は、前記エの課税総所得金額に対する所得税額からオの源泉徴収税額を控除した金額である。

キ 更正処分により納付すべき税額

七万五一〇〇円

右金額は、確定申告書に記載された還付されるべき税額一〇万八〇一八円から前記カの還付すべき所得税の額を控除した金額である。

ク 過少申告加算税額 七〇〇〇円

右金額は、国税通則法六五条一項の規定により、前記キの更正処分により納付すべき税額の額に一〇〇分の一〇の割合を乗じて算出した金額である。

(3) 平成三年分

ア 総所得金額五八七万八三五五円

右金額は、原告の確定申告に係る事業所得の金額五九七万八三五五円から青色申告控除額一〇万円を控除した金額である。原告は、他に所得を有しないので、右事業所得の金額が総所得金額となる。

イ 所得控除の合計額

一七九万七五〇〇円

右合計額の内訳は次のとおりである。

① 社会保険料控除

四九万四五〇〇円

② 生命保険料控除五万〇〇〇〇円

③ 損害保険料控除 三〇〇〇円

④ 扶養控除 九〇万〇〇〇〇円

⑤ 基礎控除 三五万〇〇〇〇円

ウ 課税総所得金額

四〇八万〇〇〇〇円

右金額は、前記アの総所得金額からイの所得控除の合計額を控除した金額である。

エ 課税総所得金額に対する所得税額 五一万六〇〇〇円

右金額は、所得税法八九条一項により、前記ウの金額のうち三〇〇万円までについては一〇パーセントの税率を乗じて算出した三〇万円と、三〇〇万円を超える一〇八万円については二〇パーセントの税率を乗じて算出した二一万六〇〇〇円との合計額である。

オ 源泉徴収税額

三一万二三九二円

右金額は、原告が修正申告書に記載した源泉徴収税額である。

カ 納付すべき所得税の額

二〇万三六〇〇円

右金額は、前記エの課税総所得金額に対する所得税額からオの源泉徴収税額を控除した金額であり、原告が納付すべき平成三年分の所得税の額である。

キ 更正処分により納付すべき税額

四二万一四〇〇円

右金額は、前記カの納付すべき所得税の額に、確定申告書に係る還付すべき税額二一万七八九二円を加算した額(一〇〇円未満の端数切捨て後のもの。)である。

ク 過少申告加算税額

四万二〇〇〇円

右金額は、国税通則法六五条一項の規定により、前記キの更正処分により納付すべき税額の額に一〇〇分の一〇の割合を乗じて算出した金額である。

(二) 本件各過少申告加算税賦課処分の適法性

本件各過少申告加算税賦課処分は、原告が取りやめ届出書を提出しているにもかかわらず、みなし法人課税の適用があるものとして確定申告書(平成元年分は修正申告書)を提出したことにより行われたものである。原告の指摘する国税通則法六五条四項の「正当な理由がある」とは、当該申告が真にやむを得ない理由によってなされた場合で、こうした納税者に過少申告加算税を課すことが不当又は酷となる場合を意味するが、本件では、過少申告の原因は原告の単なる税法の不知又は誤解にすぎないから、正当な理由がある場合に該当しない。

したがって、本件過少申告加算税賦課処分はいずれも適法である。

三  本件各過少申告加算税賦課処分に関する被告の主張に対する原告の認否

被告の主張(一)(本件各過少申告加算税賦課処分の根拠)のうち、(1)ないし(3)の各ア(総所得金額)、各イ(所得控除の合計額)、各オ(源泉徴収税額)の事実は認める。その余の主張はすべて争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件各処分の存在について

請求原因1(処分の存在)の事実は、当事者間に争いがない。

二本件各更正処分の無効確認請求について

1  取りやめ届の錯誤無効に基づく本件各更正処分の無効の主張(請求原因2(一)(1))について

原告は、原告のしたみなし法人課税選択の取りやめの意思表示は、要素の錯誤があって無効であり、したがって右取りやめ届を前提としてなされた本件各更正処分も当然無効であると主張するので、この点を検討する。

(一)  みなし法人課税制度の概要

(1) みなし法人課税に基づく所得税額の計算について

みなし法人課税制度は、青色申告書を提出することにつき税務署長の承認を受けている個人について、納税者の選択により、通常の青色申告による所得税の計算方式に代えて、次のとおり法人課税に準じた所得税の課税方式を採ることを認める特則である。すなわち、通常の青色申告による所得税の計算方式が所得税法第二編二章ないし四章の各規定により、個人の一年間の各所得の金額の合計額(総所得金額)から、各所得控除額を控除した後の課税総所得金額に、税率を適用して所得税額を算定するのに対し、みなし法人課税の計算方式は、右各規定によらず、租税特別措置法二五条の二第一項ないし三項の規定により、まず、みなし法人課税の計算の対象となる不動産所得及び事業所得の金額の合計額から、納税者が予め届け出ることとされている報酬の額(事業主報酬の額)が納税者本人に給与として支払われたものとしてこれを控除し、その残額を法人の未処分利益の額と同様にとらえて、みなし法人所得額とする。そして、みなし法人所得額に法人税率に相当する所定の率を乗じた額を算出する(いわゆるみなし法人税額)。

他方、納税者につき、その年分の不動産所得及び事業所得の金額がないものとした上で、右の事業主報酬の額を給与収入とした場合の所得金額の合計額を算出し、さらに、みなし法人所得額のうち一定割合については、納税者に対し配当支払(いわゆるみなし配当所得)があったものとし、これらを合算したものを総所得金額として所得税法第一編第二章ないし四章により所得税額を計算する。これに、右みなし法人税額を合計した額が所得税の額となる(租税特別措置法二五条の二第一項ないし四項参照)。

なお、みなし法人損失額とは、不動産所得及び事業所得の金額の合計額から事業主報酬の額を控除した結果生じた損失の金額(租税特別措置法施行令一七条の二第三号)であり、みなし法人損失額の繰越控除とは、その年の前年以前五年以内の各年において生じたみなし法人損失額については、その年分のみなし法人所得額の計算上控除することができるとするものである。そして右控除については、みなし法人課税選択者がみなし法人損失額が生じた年分について青色申告書を提出期限までに提出し、かつ、その後において連続してみなし法人課税に係る青色申告書を提出している場合に限り認められるものである(同令一七条の四)。

(2) みなし法人課税の選択及び取りやめの届出について

みなし法人課税選択のための届出は、その選択をする年の前年一二月三一日まで(その年の中途において新たに事業を開始した場合には、その事業を開始した日から二月以内)に、所定の事項を記載した「みなし法人課税選択の届出書」を、また、同取りやめのための届出は、その選択をやめる年の前年一二月三一日までに、所定の事項を記載した「みなし法人課税選択の取りやめの届出書」を、それぞれ税務署長に対し提出することとされている(租税特別措置法二五条の二第四項及び八項、租税特別措置法施行規則九条の四第一項及び三項)。

そして、選択を取りやめた年以後三年以内の各年分については、みなし法人課税の再選択はできないこととされている(租税特別措置法二五条の二第一項)。

(3) みなし法人損失額の繰越控除と純損失の繰越控除について

青色申告の承認を受けた者でみなし法人課税の選択をしない者は、通常、事業所得等から青色申告控除(一〇万円)をし、更に所得控除をした残額に所得税率を適用して税額が計算されるが、前年以前三年分の事業所得に純損失が生じている場合にはこれを総所得金額から控除することができる。

以上にみたように、みなし法人課税を選択した場合とそうでない場合とでは、課税所得の計算方法及び適用税率を大きく異にしており、みなし法人課税を選択した場合のみなし法人損失額の繰越控除とみなし法人課税を選択しなかった場合の純損失の繰越控除とは、概念及び数額を全く異にするものである。

(4) 原告が本件取りやめ届出書を提出した昭和六三年三月当時において、みなし法人課税を選択した場合と選択しなかった場合を比較すると、その効果等は、概略次のとおりとなる(ただし、不動産所得、免税の農業所得、みなし配当所得等についての効果等を除く。)。

ア 前記のとおり、みなし法人所得額は事業所得から事業主報酬額を控除するために、その分みなし法人所得税額は減額し(場合により損失を生じる。)、また、一般に、みなし法人損失額は、純損失額より大きくなると考えられる。

イ みなし法人課税を選択すると、事業主個人の給与所得の所得税が源泉徴収され、みなし法人課税選択者の所得税額は、みなし法人所得税額と個人の所得税額の合算となる。

ウ みなし法人課税を選択すると、給与所得控除額の分だけ課税所得が減額し、他方、青色申告控除が認められないのでその額(一〇万円)だけ減殺され、みなし法人所得額については、一定税率による法人税相当額が課される。

(二)  みなし法人課税選択の取りやめの意思表示と錯誤

(1)  みなし法人課税選択の取りやめの意思表示は、公法関係の一である課税関係における私人の行為であるが、このような私人の公法行為に私法規定が適用されるかは一つの問題である。この点について、私人の公法行為については私法規定の適用を一切排除し、公法に固有の原理によって処理すべきであるとする考え方もあるが、私人の公法行為といわれるものの中には公法行為に近い性質を有するものから私法行為に近い性質を有するものまで様々なものが存在し、その行為の性質、私法規定の趣旨、行為をした者の被る不利益及び公法関係に与える影響等を考慮せずに、私法規定の適用を一切排除しすべての場合を公法に固有の原理によって処理することは、実質上不当な結論を導く場合があると考えられる。したがって、私人の公法行為に私法規定が適用されるかどうか、また、適用されるとしてどの程度適用されるかは、当該公法関係の特質、当該私人の公法行為の性質、当該私法規定の趣旨、行為をした者の被る不利益の程度、公法関係に与える影響の程度等を考慮して判断すべきである。

(2)  そして、みなし法人課税選択の取りやめの意思表示に関し錯誤があった場合においては、納税者の利益を守り課税の適正を図る見地からすると、民法の錯誤に関する規定の適用を全面的に排除するのは相当でなく、基本的には民法の規定によりながら、課税に対する影響などを考慮してその効力の有無を決定するのが相当である。

(三)  本件の経緯

当事者間に争いのない事実、甲第一号証、第二号証の一、二、第四ないし第九号証、第一二号証、乙第一ないし第四号証の各一、二、第五号証、第六、第七号証の各一、二及び原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

(1) 原告は、司法書士の資格を有する者であり、昭和六二年四月、原告の住所地において、司法書士業を開業した。

原告は、中央大学法学部を卒業しており、また、司法書士業を開業する前に都税事務所に七年ほど勤務し、滞納処分関係の仕事を担当した経験を有していた。原告の妻宏子は、郵便局に七、八年ほど勤務し、主に窓口事務を担当していた。

原告は、司法書士業に関する経理については税理士を依頼せず妻に任せており、妻が毎月作成した試算表を一二月末に締め、申告の時期に原告が申告書に転記していた。

(2) 原告は、司法書士の試験に合格した後、合格者を対象とする研修を受けた際、みなし法人課税制度があることを知り、税務署からパンフレットをもらって調べたが、「事業主がサラリーマンと同じように給料をもらうことができ、源泉税を払いさえすれば所得税の負担が軽くなる」(原告の供述)ものであると考えた。そこで、原告は、開業の当初からみなし法人課税を選択しようと考え、被告に対し、昭和六二年四月青色申告の承認を申請するとともに、同年五月みなし法人課税選択の届出書を提出した。

(3) その後、昭和六二年法律九六号所得税等の一部を改正する法律により、みなし法人課税制度のうち事業主に対する過大報酬の額の計算規定が改正された(同法附則四四条)。原告の妻は、右改正によって新しい計算規定が施行されたことを知ったが、その計算規定が複雑であると感じ、具体的にどのような計算をすることになるのか分からなかった。原告の妻は、これまでも経理事務にかなり時間を取られてきたことからすると、今後新しい計算規定に対応していくことができないのではないかと思い、原告に対し、みなし法人課税の選択をやめたらどうかと進言した。

原告も妻の意見に同調し、みなし法人課税の選択を取りやめようと決意し、昭和六四年(平成元年)分以降について取りやめ届出書を提出しようと考えた。このとき、原告は、国税に関するパンフレット類や「やさしい所得税」と題する本の記載などから、みなし法人課税の選択を取りやめても、みなし法人課税を適用して算出されるみなし法人損失額を繰越控除することができるものと考えた。

(4) 原告は、昭和六三年三月一一日、昭和六二年分の所得税について、みなし法人課税を適用して確定申告をしたが、そこにおけるみなし法人損失額は、五三九万〇〇四三円であった。そして、原告は、右確定申告をするのと合わせて、昭和六四年(平成元年)分以降についてみなし法人課税選択を取りやめ届出書を被告に提出したが、取りやめる事情として「実益がないため」と記載した。その後、原告は、被告の受付係に対し、「みなし法人課税でますます複雑になりそうなので、やめます。」と言ったところ、右受付係は黙って右取りやめ届出書を受領した。

(5) 原告は、平成元年三月、昭和六三年分について、みなし法人課税を適用して所得税の確定申告をした。右確定申告においても、昭和六三年分のみなし法人損失額は四四九万六八三一円であり、昭和六二年分のみなし法人損失額五三九万〇〇四三円と合算した九八八万六八七四円を平成元年分に繰り越すみなし法人損失額とした。

(6) 原告は、平成二年三月頃、平成元年分についてみなし法人課税の選択の取りやめ届出書を提出していたので、一般用の所得税の確定申告をしようとし、その際、申告書の書き方等の手引書の類を読んだ。そこには、損失のある人は損失申告用の書式を使うことと記載されていたが、疑問に思い、被告税務署へ確認をしに行った。原告は、被告の係官に対し、一般の損失申告用の書式を示して、「みなし法人課税をやめたんですが、これでいいんですか。青色申告である限り、損失も依然として繰越控除されますよね。」と質問したところ、被告の係官は、「そうです。」と答えた。そこで、原告は、「申告書の様式はこっちでいいんですね。」と確認をして、一般の損失申告用の書式を持ち帰った。

そして、三月一二日、平成元年分の事業所得としてはみなし法人課税の計算をせずに損失三三二万七二八四円と記載するとともに、昭和六二年、六三年分の純損失の記載欄に前記(5)掲記の右各年度のみなし法人損失額を記載し、平成元年分の所得税の確定申告書を提出した。

(7) かかるところ、平成二年一一月二一日、被告係官は、調査のため原告事業所に臨場して、原告の事件簿、現金出納帳及び領収書等を調査し、原告の了解を得ていったん右帳簿書類を借用して税務署に持ち帰り、さらに検討した。

その結果、事業所得について収入金額の計上洩れ及び必要経費の過大計上が認められ、これにより昭和六二年分二六万八三一〇円、昭和六三年分一二六万一四四〇円及び平成元年分一〇一三万四四七〇円の所得金額の過少が確認された。あわせて、平成元年分の確定申告書に記載された昭和六二年分及び昭和六三年分の損失の金額が右各年分の純損失額でなくみなし法人損失額であることが判明したが、右の損失については、すでに原告が昭和六三年三月一一日付で、平成元年分の所得税の確定申告からみなし法人課税の選択を取りやめる旨の取りやめ届出書を被告に対して提出していたことから、平成元年分の総所得金額の計算上控除することができないことが判明した。

なお、青色申告の承認を受けた者については、前三年分に生じた純損失の繰越控除が認められるが、原告は、昭和六二年に司法書士を開業したときから青色申告の承認を得るとともにみなし法人課税を選択したものであるから、昭和六二年、六三年分についてみなし法人課税を選択しなかったものとして計算し直し、純損失を計上することは許されず、平成元年分の確定申告において前年以前に生じた純損失の繰越控除をすることはできなかったものである。

結局、原告は、平成元年には前記所得の過少を修正すると、六八〇万円余りの所得を生ずることとなったが、みなし法人課税の選択を取りやめていなければ適用されたはずの前年以前のみなし法人損失額約八三〇万円余りが繰越控除されず、他方当初からみなし法人課税を選択していなければ適用されたであろう純損失の繰越控除も認められず、前記約六八〇万円(青色申告控除をすると約六七〇万円)がそのまま所得金額となることになった。

(8) 被告係官は、平成二年一二月中頃、原告の事業所に赴いて前に借用した帳簿書類を返却するとともに、原告に対し、昭和六二年分、昭和六三年分及び平成元年分の所得金額の過少が確認されたこと並びに昭和六二年分及び昭和六三年分のみなし法人損失額を平成元年分の総所得金額から控除することはできないことを説明したところ、原告は激昂して「冗談じゃない。」と言った。

(9) しかし、その後、原告は、自分の本の読み方が間違っていたのではないかと思い、所得税質疑応答集という題名の本を本屋で立ち読みする等して調べたところ、一週間ないし一〇日位してから、被告の説明が正しく、自分が錯誤に陥り誤って取りやめ届出書を提出したことに気付いた。

(10) 原告は、平成二年一二月二五日、昭和六二年及び昭和六三年分の所得税については、被告の指摘のとおり所得金額の過少を訂正した修正申告書を提出した。

しかし、原告は、平成元年分について前二年分のみなし法人損失額の繰越控除をしないことについては被告の指摘に従わず、右と同じ平成二年一二月二五日(原告は同月二七日頃と主張する。)、被告税務署において、被告係官に対し、口頭でみなし法人課税選択を取りやめた事情を説明し、平成元年分についてもみなし法人課税による計算をしてほしいと要望したが、被告係官は、原告の意思で取りやめ届出書が提出されているのでみなし法人課税による計算はできないと答えた。

(11) 次いで、原告は、平成三年一月一〇日、被告に対し、取りやめ届は要素の錯誤により無効である旨を記載した無効通知書を送付し、右通知書は、翌一一日、被告に到達した。

(12) 原告は、取りやめ届は錯誤によるものであるから無効であり、みなし法人課税の選択が継続しているとの立場から、平成三年二月四日、平成元年分の所得税の修正申告をみなし法人課税用の書式によって行った。その際、原告は、事業所得の金額の過少の点については被告の指摘のとおり訂正したが、所得税額の計算については、なおみなし法人課税を適用し、みなし法人所得額を四四〇万七一八六円としつつ、昭和六三年分までに引ききれなかったみなし法人損失額として、昭和六二年分五一二万一七三三円、昭和六三年分三二三万五三九一円と記載し、平成元年分でみなし法人所得額から差し引く損失額として、昭和六二年分四四〇万七一八六円、昭和六三年分〇円と記載し、課税される法人所得額を〇円とした。

(13) 原告は、被告に対し、平成三年三月一五日、平成二年分の所得税の確定申告書を提出し、平成四年三月一六日、平成三年分の所得税の確定申告書を提出した。

(14) これに対し、被告は、平成元年分の所得税については平成三年四月一日付で、平成二年分の所得税については平成三年九月三〇日付で、平成三年分の所得税については平成四年六月三〇日付で、それぞれ更正処分及び過少申告加算税賦課処分を行った。

(四)  以上のような事実関係を前提として検討する。

(1) まず、原告の取りやめの意思表示に錯誤があったかどうかであるが、前記認定のとおり、原告は、青色申告制度をとった場合に認められる純損失額とみなし法人課税を選択した場合に認められるみなし法人損失額が同一のものであると誤解し、みなし法人課税の選択を取りやめても、青色申告制度をとる限りみなし法人損失相当額の繰越控除が認められると信じて取りやめの意思表示をしたものである。しかし、法令上は、みなし法人課税の選択を取りやめれば、みなし法人損失額を繰越控除することは認められなかったものである(前記のとおり、租税特別措置法施行令一七条の四によれば、みなし法人損失額の繰越控除は、みなし法人課税選択者がみなし法人損失額が生じた年分について青色申告書を提出期限までに提出し、かつ、その後において連続してみなし法人課税に係る青色申告書を提出している場合に限り認められるものである。)。

そうとすると、原告の取りやめ届の意思表示の生成過程には、原告の意識しない表示と真意の不一致が生じていたということができ、錯誤があったというべきである。

また、原告が取りやめ届出書を提出したのは昭和六三年三月一一日であるところ、そのとき同時に提出した昭和六二年分の所得税確定申告書において五三九万〇〇四三円のみなし法人損失額を申告したものであり、そうすると、これだけの金額のみなし法人損失額を繰り越すことにより、原告は、以後最大五年にわたりみなし法人所得額を減少させることが可能であると予測され(もっとも、昭和六三年分について損失が生ずるかどうかは予測できない面もあるが)、これがみなし法人課税を選択する場合の大きな利点であると考えられることからすると、通常の一般人であれば、右錯誤がなければ取りやめの意思表示をしなかったであろうということができる。したがって、右錯誤は、法律行為そのものではないにしても、その重要な効果の一に関するものであるということができ、これによって原告が被る不利益が小さいということはできない。

(2)  しかし、他方、私人間の法律関係を前提に規定された民法九五条でさえも、同条但書において、錯誤が重大な過失に基づくものであるときは無効を主張しえないと規定している。そして、租税関係の法律行為においては、大量でしかも複雑な計算関係を正確かつ迅速に処理し、連続する各手続を遅滞なく処理することが要求されており、個々人の錯誤無効の主張を安易に認めるときは租税業務全体の停滞をまねくおそれがある。

また、前記のとおり、みなし法人課税は、個人の事業所得について法人に対する課税と同様の計算をしようとするものであって、これを選択した者はそれにより一定の利益も受けるものであるが、先にみたようにその計算及び法律の適用は、みなし法人課税を選択しなかった場合に比べ基本的に異なっており、みなし法人課税の繰越控除とこれを選択しない青色申告における純損失の繰越控除とは概念及び計算を異にするものである。したがって、法は、納税者が両者を恣意的に選択することがないように、①これらをいずれも書面で届け出ることを要求し、②選択をするについては原則として前年の一二月三一日まで(その年の中途において新たに事業を開始した場合には、その事業を開始した日から二月以内)にしなければならず、取りやめ届出書の提出は、選択をやめる年の前年の一二月三一日までにしなければならないとし、③取りやめた後以後三年間は再選択はできないとしていたのである。

こうした手続に照らすと、みなし法人課税の選択やその取りやめについて納税者に思い違いがあったとしても、直ちにその届出を無効と扱うのは妥当でない。

したがって、みなし法人課税選択の取りやめの意思表示をする際、その重要な事項につき錯誤があった場合にその効力を決定するについては、納税者に重大な過失があった場合は無効を主張できないものとすべきであり、かつ、重大な過失の有無の判断に際しては、租税関係の特色を十分考慮すべきものである。そして、さらに、錯誤についての課税庁の認識ないしその可能性及び納税者の錯誤に対する課税庁の関与の有無等の事情をも考慮すべきである。

(3) そこですすんで、原告が錯誤により取りやめ届出書を提出したことについて重大な過失があったかどうかについて検討する。

みなし法人損失額の繰越控除は、みなし法人課税選択者が連続してみなし法人課税に係る青色申告書を提出している場合に限り認められるものであり、このことは法令上明記されているところ、原告は、昭和六二年分の確定申告において、みなし法人課税を選択して、所得金額から事業主報酬の額を控除してみなし法人損失額を計上しており(甲第一二号証)、したがって、みなし法人損失額は純損失額に比べて事業主報酬の額の分だけ増額することを自らの体験において理解しているといえるし、また、原告は、みなし法人課税の選択を取りやめた平成元年分の所得税の確定申告においては、損失額の計算上、事業主報酬を控除していないこと(乙第二号証の一、二)からすると、原告にとって、みなし法人損失額と純損失額の相違は、比較的容易に理解し得るものといえる。

しかるに、原告は、事業主報酬に関する計算規定が改正されたことを契機として、比較的簡単なパンフレットを読むなどしたのみで、安易に、みなし法人課税の選択を取りやめても従前同様みなし法人損失額に相当するものがそのまま繰越控除されると軽信して取りやめ届出書を提出したものであって、原告には大きな過失があるといわなければならない。

さらに、前に認定した事実によると、原告が取りやめの意思表示をするにあたって参考としたものは、国税関係のパンフレット及びやさしい所得税という簡単な本だけであり、専門書を調べたり、専門家に相談する等のことをしていないこと、原告が参考としたパンフレットには、青色申告を採用した場合に純損失の繰越控除ができるという記載とは別の項目としてみなし法人課税制度についての記載があること、原告は、大学の法学部を卒業し、都税事務所において税金関係の仕事に約七年間携わっていた経験を有し、現在司法書士という法律関係の職業に従事する者であること、原告は、被告の係官から解釈の誤りを指摘された後、本屋で立ち読み等をして一〇日も経たないうちに錯誤に陥っていたことに気付いていること等からすると、原告がみなし法人損失額と青色申告の純損失額とが同概念であると誤解し、みなし法人課税制度を取りやめてもその制度の適用を前提として算出されるみなし法人損失額が繰越控除できると信じたことは重大な過失に基づくものであるというべきである。

(4) 次に、被告側の認識ないし認識可能性及び取りやめ届に対する関与等について検討すると、

ア 前に認定した事実から明らかなように、原告は、昭和六三年にした本件取りやめ届出書に取りやめの事情として「実益がない。」としか記載せず、また、被告の受付係の者(それが課税の担当官であるかどうかも判然としない。)に対しても「みなし法人課税でますます複雑になりそうなので、やめます。」としか言っていないことからすると、被告としては、原告の錯誤に陥った事情を把握することはできなかったものと認められる。このような場合に錯誤無効の主張を原告に許すことは、衡平上妥当ではない(しかも、右の複雑な計算を回避し、事業の能率を上げたいという原告の意図は貫徹されているのである。)。

イ ところで、原告は、平成二年三月頃、被告の係官に対して青色申告である限り損失が繰越控除されるかどうかを確認した際、被告の係官がそれを肯定するような発言をしたと主張する。

しかし、右のやりとりの詳細がどのようなものであったかは判然としないが、前記認定の事実からすると、原告が事実の経緯を詳しく説明し、被告係官が原告の例に即して答えたものではなく、原告が単に制度としてみなし法人課税の選択を取りやめた場合にも青色申告をとる限り損失が繰越控除されるかと尋ねたのに対して、係官が制度として純損失の繰越控除が認められる趣旨で答えたにとどまるものと理解されるのであるから、被告係官の答えが誤っていたということはできない(なお、原告は、被告の係官の右発言により錯誤に陥ったとも主張するが、原告が取りやめの意思表示をしたのは、右時点よりも以前の昭和六三年三月一一日であることからすると、被告の欺罔行為によって錯誤に陥らされて取りやめの意思表示をなしたということはできない。)。

ウ また、原告は、その後の平成二年一二月被告の係官に取りやめ届出書を提出した事情を説明し、さらに平成三年一月になって、被告に対し書面で、取りやめ届は錯誤によるので無効であると通知したことが認められるところ、前記のとおり原告が錯誤に陥っていたことは間違いがなく、原告は、それに気付いてから比較的間もない時期でかつ更正処分のなされる前にその旨を通知したのであるから、被告としては、取りやめ届の効力を否定して扱うのが妥当のようにも思われる。この点については、後に2おいても検討するが、法が前記のとおり手続を明確にするため、みなし法人課税の選択や取りやめの時期を限定していること等に照らすと、取りやめ届出書を提出した直後に誤りに気付いてその訂正の申立てをしたような場合はともかく、本件のように取りやめ届出書を提出してから約三年近く経過し当該年分の確定申告をした後にその無効を通知したような場合において、取りやめ届を無効として扱うことは、手続の安定を著しく損なうといわざるを得ない。

(五)  以上のような諸要素を総合的に判断すると、本件において原告が取りやめの意思表示について錯誤による無効を主張することはできないというべきである。

たしかに税法の規定は複雑であり、素人が税理士等の専門家に依頼しないで正確な手続を行うことは容易でない。しかし、そのために税務相談等の制度もあるのであり、原告のように法律を学び、税務を担当した経験もあってしかも法律関係の職業に従事する者が、自己の事業所得に関してみなし法人課税による特例の利益を享受しようとするからには、やはり相当慎重な姿勢で臨むことが要求されるというべきであり、原告はあまりに迂闊であったといわざるを得ない。他方、多数の国民の大量の税務を処理しようとする被告が、本件のような対応をしたことは、これを誤りないし著しく不当なものとまでいうことはできない。

よって、本件取りやめ届の錯誤無効を前提とする原告の主張は採用できない。

2  取りやめ届の撤回(請求原因2(一)(2))に基づく本件各更正処分の無効の主張について

原告は、①平成二年一二月二七日頃被告に対し口頭で取りやめ届の撤回を申し入れたこと及び②原告の無効通知書が平成三年一月一一日に被告に到達したことにより、取りやめ届の撤回の効力が生じたから、それを無視し取りやめ届の有効を前提として行った本件各更正処分は無効であると主張する。

(一)  前記認定のとおり、右①の点はそのような申入れがなされたとうかがえるし、②の無効通知書の送付の点は当事者間に争いがない。

ところで、前記のとおり、みなし法人課税に関しては、その選択と取りやめを恣意的に繰り返すことを認めると、税負担の調整を狙いとしてみなし法人課税制度を利用することを招き、一定の継続性を前提とする右制度の趣旨にそぐわないことから、従前は取りやめ届出書提出後の再選択を認めないとされていた。しかし、他方で納税者の利益をも考慮する必要があることから、昭和六三年の改正により、取りやめ届出書提出後の再選択を一定の限度で認め、選択をいったん取りやめた年以後三年内の各年分については再選択することはできないとされた(租税特別措置法二五条の二第一項)。

このような法の改正の経緯及びその趣旨にかんがみると、いったん有効な取りやめ届出書を提出した後に、それを撤回してみなし法人課税を再選択する場合は、専ら右規定によるべきであり、選択を取りやめた年以後三年間の各年分については取りやめ届の撤回をすることはできないというべきである。

そこで本件をみると、原告は、昭和六三年三月一一日、被告に対し、平成元年分以降の所得税について取りやめる旨の届出書を提出しているから、右規定によれば平成四年分からは再選択をすることができるが、それより前である平成元年ないし平成三年の三年間は再選択することはできないというべきである。

(二)  もっとも、原告のいわんとするところは、原告はみなし法人課税の選択を確定的に取りやめることとし、その後再びこれを選択しようとしたものではなく、取りやめ届をなすにつき錯誤があったこともあって、単に取りやめ届を撤回したいというにあると解される。

しかし、前記認定判断のとおり、原告の錯誤には重大な過失があり、それは被告の了解できないところであったものであり、また、みなし法人課税を選択するか否かによって課税の体系が大きく異なるところから、法はその取りやめについても届出書の提出を要求するとともに期限を設けているのであり、取りやめ届を前提にその後の課税手続が積み重ねられることになっているのであるから、本件のように、取りやめ届出書の提出期限を経過し、取りやめ届を前提にした確定申告が行われた後には、前記の趣旨のものであっても、もはや取りやめ届の撤回は許されないと解するのが相当である。

(三)  よって、本件取りやめ届の撤回を前提とする原告の主張は採用できない。

3  憲法違反の主張(請求原因2(二))について

原告は、本件各更正処分は、原告が税理士制度を利用しないためになされたものであり、また、原告の悲惨な生活実態を何ら考慮することなくなされたものであるから、日本国憲法に違反し無効であると主張する。

しかし、本件各更正処分は、原告が税理士制度を利用しないためになされたものとはいえない。そして、税理士制度の利用は、納税者の自由な選択に任されており、その制度を利用せずに納税手続を行った者が自らの過誤により不利益を被ったとしても、その不利益は甘受すべきものであり、そこには憲法違反の問題が生じる余地はないというべきである。

また、所得税法をはじめとする各種税法は、納税者の担税力を考慮して定められており、これに沿ってなされた本件各更正処分には、憲法違反の問題は生じないというべきである。

三本件各過少申告加算税賦課処分の取消請求について

1  右請求に関する被告の主張(一)のうち、(1)ないし(3)の各ア(総所得金額)、各イ(所得控除の合計額)、各オ(源泉徴収税額)の事実は当事者間に争いがない。

右事実に法令を適用すると、平成元年分ないし平成三年分の各課税総所得金額、各課税総所得金額に対する所得税額、各納付すべき所得税の額(平成二年分は還付すべき所得税額)、各更正処分により納付すべき税額及び過少申告加算税額は、それぞれ被告の主張のとおりであると認められる。

2  原告は、国税通則法六五条四項の正当な理由がある場合に該当するから、過少申告加算税を課すべきではないと主張する。国税通則法六五条四項は、更正前の税額算定につき正当な理由がある部分については一定の金額を控除して過少申告加算税を課すべき旨を規定するところ、同項の「正当な理由がある」とは、税法の解釈に関して申告当時に公表されていた見解がその後改変されたことに伴い、修正申告をし、又は更正を受けるに至った場合等真にやむを得ない理由があると認められる場合を意味すると解されるところ、本件各過少申告加算税賦課処分は、原告が取りやめ届出書を提出したにもかかわらず、みなし法人課税制度の適用を前提として平成元年ないし三年分の確定申告書(平成元年分は修正申告書)を提出したことに基づき行われたものである。そして、前に検討したとおり、原告は、取りやめの意思表示について錯誤による無効を主張することができず、その撤回も許されないのであるから、同法六五条四項の「正当な理由がある」場合に該当するということはできない。

3  したがって、本件各過少申告加算税賦課処分はいずれも適法である。

四結論

よって、原告の請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官岩井俊 裁判官原道子 裁判官細矢郁)

別表一

本件課税処分の経緯

平成元年分

(単位・円)

区分

年月日

総所得金額

申告納税額

過少申告加算税

確定申告

2.3.12

△三、三二七、二八四

△三一三、四一六

修正申告

3.2.4

一、五一五、〇〇〇

△三〇五、八一六

更正

3.4.1

六、七〇七、一八六

四四〇、一〇〇

八六、五〇〇

異議申立

3.5.29

一、五一五、〇〇〇

△三〇五、八一六

同決定

3.8.21

棄却

審査請求

3.9.2

一、五一五、〇〇〇

△三〇五、八一六

別表二

本件課税処分の経緯

平成二年分

(単位・円)

区分

年月日

総所得金額

申告納税額

過少申告加算税

確定申告

3.3.15

一、五一五、〇〇〇

△一〇八、〇一八

更正

3.9.30

二、二六六、一七五

△三二、九一八

七、〇〇〇

審査請求

3.11.25

一、五一五、〇〇〇

△一〇八、〇一八

別表三

本件課税処分の経緯

平成三年分

(単位・円)

区分

年月日

総所得金額

申告納税額

過少申告加算税

確定申告

4.3.16

二、七四三、四〇〇

△二一七、八九二

更正

4.6.30

五、八七八、三五五

二〇三、六〇〇

四二、〇〇〇

審査請求

4.9.1

二、七四三、四〇〇

△二一七、八九二

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